肝付兼続の墓【市指定文化財】

肝付家16代兼続は志布志・福島・飫肥を領していた豊洲島津氏を破り、志布志を隠居所と定め、大隅の経営に当たりました。 永禄9年(1566)に志布志で没し、位牌は大慈寺に安置されました。 現在の墓所は天明2年(1782)に再…

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愛甲喜春の墓【県指定文化財】

愛甲喜春は慶長10年(1605)志布志若宮に生まれ、寛永17年(1640)泊如竹を慕い屋久島に赴き、 如竹に学び、薩摩宋学の学統を継ぐに至り、万治2年(1659)恩師如竹の後を受けて侍講となりました。 儒学、易学、暦法・…

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大慈寺開山堂

大慈寺東方の山(秋葉山)は、その形が蓮の花に似ていると言われ、大慈寺の開山(寺の創始者)である玉山和尚が、 志布志に来て初めて禅定に入った霊山である。 玉山禅師は名を玄提といい、京都南禅寺の開山大明国師の法嗣(跡とり)と…

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大慈寺と仁王像【仁王像・県指定文化財】

興国元年(1340)の創建で、京都の臨済宗妙心寺の末寺であり、藩政時代には16の支院と100名以上の僧侶がいました。 明治2年の廃仏毀釈により一時は廃寺となったが、明治12年旧大慈寺宝池庵跡に再興され現在に至っています。…

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山中氏邸(商家)【市指定文化財】

2階建て土蔵の町屋であり、明治15年建設と伝えられる商家です。 外観は白漆喰大壁で、腰より下を石積みとしています。 大きな入母屋造の屋根をかけ街道に妻を見せ、正面の2階は大きな物入れとなっています。 住所 志布志市志布志…

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金剛寺

藩政時代、キリスト教や一向宗や禁じられていた。金剛寺は明治9年の信仰自由の布告によって、 県内で最初に寺号公称した浄土真宗の寺院です。   住所 志布志市志布志町志布志1-8-14

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旧東郷医院【県指定文化財】

大正6年(1917)に建てられたされた総2階建の洋館です。洋館の1回部分を槙寮に立て、2階には和室が並んでいます。 特に14畳の「ざしき」は見事で、天井は高さ11.8尺(358cm)と高く、鴨居内寸は5尺8寸(176cm…

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津口番所跡【市指定文化財】

藩政時代には、前川河口に船着場があり、番所では廻船・貿易船の積み荷を取り締まっていました。 高さ約2.5mの石垣に囲まれた小台地にありましたが、現在では石垣だけが往時を偲ばせています。   住所 志布志市志布志…

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宝満寺跡(宝満寺公園)

県指定史跡 宝満寺跡は律宗秘山密教院宝満寺の遺跡で、神亀年間(724~729年)に聖武天皇が皇国鎮護のため各地に建立した勅願寺の一つと伝えられます。 その後、正和5年(1316)に信仙上人英基和尚が、院宣を受けて勅願所と…

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清水氏庭園【国登録文化財】

築山枯山水庭園。小渕馬場北より街道に東面して庭がある。 屋敷門から玉石積みの石垣等に囲まれた矩折れの通路を通り庭に至る。 庭園は現在の主屋の南から東にかけてある。周縁に沿って帯状の築山を巡らす。東庭の中央にはクロマツを配…

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